「歴史に学ぶ地震と津波」について、静岡文化芸術大学文化政策学部国際文化学科、磯田道史氏の講演を聞いてまいりました。
先生は歴史学がどこまで実用に供せられるか、地域社会に何ができるかを考えられ、実験場としてここ静岡の静岡文化芸術大学を選んで実験を繰り返されています。
この一年の模索の過程として「古文書」による防災研究などについてのお話を頂きました。
日本、この静岡県は歴史の中で複数の津波被害を経験しておりその歴史を学び活かす重要性を改めて学んでまいりました。
古文書による防災研究では、古文書から、いつの時代の津波が大きかったか、揺れの継続時間はどれくらいだったのか、最大津波がどれくらいで来襲したのかなどを推測されています。
先生によると津波の大きさは、明応津波>慶長津波>安政津波、明応津波>宝永津波>安政津波と推測されるとのことです。
また、宝永津波はどれぐらいの大きさであったかについては、静岡市沿岸(葵区下島地区)に残る古文書から宝永地震の津波を独自に推定したところ、「大浪の高サ四丈」12mと書かれた古文書があるため真偽をたしかめたそうです。
歴史地震学では浸水域2mを超えると家屋全流出「潰」するとされるそうですが、記録によると、標高4?4.5m地点の家屋3軒中2件が流出、標高6m地点の家屋に被害なしとなっており、この地区の宝永津波の波高は5.5?6m程度と推測されるとのことです。
先生は、これら歴史から学んだことをもとに、その予測の静岡県第4次地震被害想定への反映や、浜松市の区役所の場所が歴史上の被災地であるため、統廃合時の区役所位置の再考などを提言されています。
再度、現在発表されている被害想定に加え、歴史地震学から学ぶことができることを頭に置いた活動も行って参りたいと思います。
歴史に学ぶ地震と津波
2014年07月28日